过劳死(日文作文)
初二 说明文 1990字 1297人浏览 喜乐爱秀秀

「増える突然死」

最近、30代、40代の人の「突然死」が問題になっている。きのうまで元気で働いていたが、急に倒れて、病院に運ばれる途中で死んでしまったとか、朝、なかなか起きないので見に行ったら、もう死んでいたとか、そんなニュースを新聞などで見ることがある。私には信じられないことだが、もし本当ならとても恐ろしいことである。

なぜ、このような突然死が増えてきたのだろうか。新聞によると、突然死の一番の原因は、毎日の忙しい生活や複雑な人間関係から来るストレスらしい。30代、40代は一番元気に仕事ができる年代だが、そういう自信があるために、かえって無理をして、突然倒れてしまうのではないだろうか。

しかし、毎日一生懸命に働きつづけて、30代や40代で死んでしまうのは、実にさびしい人生だと思う。昔とくらべると、現代はとても豊かで便利な会社だと思うが、若い人たちは仕事にばかり夢中にならないで、もっと人生をゆっくり楽しむべきである。

「私の国の教育」

中国の義務教育は中学3年生までで、16歳までである。中国では小学校から中学校に入学する時は試験がない。中学校から高校に入る時から試験がある。高校から大学に入る試験はとてもむずか

しい。進学校の高校3年生たちは、朝7時から夜時まで学校で勉強する。試験科目が多いので入学試験に合格するためにはたくさん勉強しなければならない。一番たいせつな科目は国語と英語と数学である。1クラスの30パーセントの生徒が大学へ進学する。進学しない人は家にいる人もいるし、就職に合格する人もいる。

「3時間しかねなかったら入学試験に合格するが、4時間寝たら落ちる」という話があるほど、大学に入学試験は難しい。日本の予備校と同じような学校があるので、入学試験に落ちたらその学校で勉強する。

中国の教育はとても厳しくて、日本とあまり変わらないと思う。

「中国新聞社」によると、今年の一月、夕飯の後、ちょっとテレビを見たいが、母親に止められて、また今学期ではクラスの前から10番以内に入ってくれ、と強く要求された徐力という中学生は母親との口論中に、ハンマーを持ってきて、母親を殴り殺したそうだ。 また、八月八歳の王(北京)という小学生は宿題を済まさずに、嘘ついたという原因で、母親に何時間もたたかれて、腎臓衰弱になったそうだ。

この問題に対して、誰でも平気で見ていられないだろう。もっ

と考えると、「点数」を中心とする教育制度にあるではないだろうか。中国の教育について反省しなければならないだろう。というのは、中国の教育制度は「試験制」を土台として作られて、ただ点数の高い人が大学に入れるというシステムだから、学生たちは大学に入るために、子供の時から、先生や親たちに「お前、死にもの狂いに頑張らなきゃ、大学に入れないぞ。」など、耳にたこができるほどよく言われたりして、勉強に飽きるのは当然だろう。

教育の問題は現在、上は国家から、下は地方まで、大変重視され、多額の資金が導入されているのである。国家統計機構によると、現在から2010年までに、わが国の入学率は9%から15%に上がる見込みだそうだが、人口は12億を超えた発展中の中国にとって、確かに目立つ進歩と言えなければならない。

しかし、中国の国情に「お粥が尐ないが、お坊さんが多い」という点があるので、いくら国家、地方、社会から、教育に資金を投入しても、限度がある。また、多くの学生にとっては、大学なんて、ただの夢としか見えないだろう。

したがって、別の方法を考えなければならない。キャンパスが狭い、先生が足りないとか、学校の容量はもう満杯になっている。それは確かに、今、存在している事実である。でも、もう二つの事実がある。それは今年の統計によると、中国の都市における住民の所有率は30%を超えたし、農村でも20%に近いそうである。もう一つ、中国のインターネット使用料どんどん安くなっているし、

インターネットのユーザもどんどん伸びる一方だということである。これらのことを考えると、中国でネット大学を実施するのが可能だと言えるだろう。いや、必要があるのであろう。

政府と有名な大学によって、ネット大学を創立し、一定の点数をとった人に国家認可の学歴を配るのである。学生は自分の能力によって自由に勉強する。イーメールとか、qqとか、テレビ会議などで、先生やほかの学生と交流する。もとろん、定期的に実際会って、コミュニケーションしてもいい。

そんなことができたら、尐なくとも、今の「千軍万馬が丸木橋を渡る」に圧力を緩めるということであろう。また、体の不自由な人にも福音をもたらすと言えるのであろう。

ネット大学のシステムの管理、設定のために、いろいろな方面も考えなければいけないということは言うまでもない。みんなで一緒に努力すれば、できるのであろう。