美丽的日本(200字)作文
五年级 记叙文 6954字 155人浏览 MissLiPrincess

精选作文:美丽的日本(200字) 作文 日本是一个历史悠久的国家,很久很久就形成了一个大和民族。 以前的人都住在纸和竹子造的房子里,但现在不是。 日本人有种文化叫做茶道,要跪着喝还要把杯子转两圈,我记得小时候喝茶的时候很苦。爸爸教我如何品茶,妈妈说我学得很像。 我很喜欢日本的寿司,妈妈经常在家做,我很喜欢看着妈妈用卷帘把米饭抱起来。 三月,樱花会开得很美丽,走在街道上我一看到天空中有樱花在飘,整个天空都是粉色的。但我都4年没看见了。 日本很美丽,好喜欢日本。希望明年能在日本过年。四年级:26989333

篇一:美丽中国作文

美丽中国

庆城县 熊庙初中 九2班 白婧 邮编:745106 说起中国的美丽,大家一定首先想到的就是蜿蜒于崇山峻岭间的长城,巍峨耸立于北京的故宫,还有那波涛汹涌、气势宏大的长江、黄河。

但这些,都只是外在美。真正的美,是在内心的深处。不再仅仅是山美水美了,而是这里繁衍了几千年的国人祖祖辈辈所创造的文化之美。

在古代,有大思想家孔子,周游列国,游说自己儒家的教育思想。在千百年后的今天,我们依然在学习他的伟大思想,现在就连国外也设有孔子学院。还有马可波罗,17岁就随父亲、叔叔来到中国,受到元世祖忽必烈的赏识,留他在元朝做官,他当时游览各地,记录了许多地方的风土人情,地形地貌特征。回国后,还编成了《马可波罗行记》一书,受到当时外国人的重视。听说外国人在制世界地图时,还拿它做参考。古代日本还多次派学生到中国来学习当时的科举制度、天文历法、医学等众多学科。这些都证明中国文化不仅对国人影响深刻,就连外国人也受到很大的影响,大家都一定知道唐朝提寺吧?那是在唐朝,我国的鉴真大师冒死三过大洋,终于到达日本,仿照中国寺庙而建的,这座寺庙虽远在日本,但它却体现了中国的文化,凝结了中国人的智慧。

因此,我觉得中国的美,不仅体现在它的壮丽山河,更美、更灿烂、更耀耀生辉的是中国上千年来的文化,它才是作为我们国人真正值得骄傲与赞颂的东西,这便是我心中美丽的中国。

篇二:日语作文素材 日语作文素材

①北極星とは、いつも同じ場所で光っているので、自分の行き先が分からなくなった時、あの星を見ていれば、道に迷わず辿り着ける、大切な道標です。

②同じ楽譜でも演奏次篇三:日本富士山作文300字

日本富士山作文300字

“万古天风吹不断,青空一朵玉芙蓉。”啊,多美的诗呀!你知道这是在写哪里吗?这是日本诗人安积艮斋赞美富士山的诗。

富士山在日语里是“火山”的意思。它海拔3776米,占地面积90。76平方公里。屹立于本州中南部,跨山梨、静冈两县,距东京80公里。是日本最高的山,也是日本的象征。 日本的山每500米分一个合目,合目在日语中意为“休息站”。我们要去富士山的五合目,也就是说,我们要去富士山2500米的地方。

座在车上,美丽的富士山在云雾中若隐若现。听导游说,一年365天只有80天左右可以看见富士山的全貌。我们都在心里默默祈祷,希望有缘能看到富士山。

到了五合目,一下车,一股清爽的气息迎面扑来,天居然放晴了!阳光暖暖的照在每个人的脸上,抬头望去,美丽的富士山清晰地展现在我们的眼前,棕蓝色的山腰和白色的山顶,犹如一个害羞的小姑娘穿着美丽的裙子。在阳光下,绿色的树木闪闪发亮,像绿宝石点缀在小女孩的裙子上,美丽极了!我被富士山深深地吸引住了。

夕阳中,我们恋恋不舍地离开了富士山。但美丽的富士山将永远铭刻在我的记忆深处。

日本富士山作文500字

冬日的箱根是那么宁静,偶尔只有几只乌鸦在天空盘旋、鸣叫,“哇、”“哇” 远看富士山

大巴在高速公路上飞驰,透过窗户,日本的天空是那么的蓝,没有一点点污染,像一匹匹织好的蓝布铺满了整个天空,在蓝布的映衬下,飘着的朵朵白云是那么的洁白无瑕,在白云环绕之中,有一座山峰,峰顶积满白雪,远远望去,与白云融为一体,衬着蓝蓝的天,犹如仙境一般,那座山就是富士山,海拔3376米,是日本最高的山。虽然日本人赋予它“永生”之意,但其实它是一座活火山。在历史上,它是一座曾有过十几次喷火记录的活火山。 近看富士山

来到山脚,首先映入眼帘的是一排排水杉,每一株都是那么的直,直耸云天,据说它们都争先恐后的想得到阳光的沐浴,所以拼命的往上窜。沿着盘山公路上去,路两旁除了厚厚

的积雪都是挺拔的水杉,它们像士兵一样保护着富士山。抬头仰望,只见富士山像一位老态龙钟的老人慈祥、和蔼地望着你,山顶终年不化的积雪像老人苍白的头发与眉毛,注视着山下的春暖花开、夏日炎炎、秋意盎然,同时慷慨地为山脚下的富士五湖常年输送水源。 从飞机上看富士山 当游玩结束后,我乘飞机从东京起飞,途径箱根富士山。透过机窗往下看,只见富士山又像一个年幼的儿童,仰望天空,在和蓝天、白云说话。富士山的火山口,被皑皑白雪覆盖着,从上往下看,像一朵盛开的白莲花,如此圣洁,真想把它摘下来带回杭州放在我们的西湖边。

冬日的箱根,很冷很美,最让我难忘的是白雪皑皑的富士山。

日本富士山作文800字

暑假里,我和妈妈跟随旅游团到日本游玩。我用相机拍下了在日本游玩中许多温馨、快乐的镜头。

镜头一:快乐的“米粒族”

在这次旅行中,我认识了一批新朋友,还荣幸地被选为“米粒族”成员之一。“米粒族”这个大家庭是由旅游团的小朋友组成的。我是“米粒族”中的大米,其他成员是:小米、紫米、小米粒„„说起来挺不好意思的,我和小米是因为要同去厕所才最先认识的,哈哈!紫米是在玩游戏的过程中熟

识的,至于小米粒嘛,她是一个小不点儿,总缠着和我们玩,我们无可奈何地接纳了她。在异地他乡,“米粒族”的小朋友个个热情、团结友爱、互帮互助,就像一个温馨、快乐的大家庭。大家一起商量玩什么内容的游戏,有什么美味大家一起分享,谁遇到不愉快的事大家逗他开心„„我爱“米粒族”。

镜头二:榻榻米“宫殿”

我们入住的洒店是日式特色的榻榻米房间。打开房间大门,里面是一扇推拉门,我慢慢拉开门立刻被惊呆了,哇!里面就是我想象中的榻榻米宫殿。只见榻榻米的左侧是铺好的被褥,右侧是衣柜和一排小柜子,再往里摆放着一张方桌,上面放着讲究的茶具。阳台和房间也有一道日式特点的推拉门,阳台上放置着休闲放松的桌椅,落地窗宽敞明亮。我激动不已在榻榻米上连翻了几个跟头,像条小泥鳅似的“哧溜”一下钻进了被窝里,又钻出来,蹦蹦跳

跳兴奋无比。晚上,我和小米组织了一个庆祝活动,我们俩穿上日式和服,一会唱歌、一会跳舞,一会又练起了武术,疯狂拍照。我们俩还当起了服务员,给两位妈妈沏茶,递点心,忙忙碌碌服务了一晚上,真是太有趣了!榻榻米是我们的乐园。

镜头三:登富士山 今天,我们旅游团去登着名的富士山。富士山的山路特别有趣,车子上下山时,走过的山路会响起乐曲声,上山时奏的是“欢迎曲”,下山时奏的是“欢送曲”。导游介绍说,这两段山路是经过了特别处理的,当山路和大客车摩擦时就会发出音乐声,这真是太奇妙了!经过一段时间,我们终于登上了海拔6776千米的富士山五合目。山上云雾缭绕,和山下温差比较大,感觉有点冷。我迅速从妈妈包里掏出夹克穿上。嘻嘻!多亏我有先见之明。云雾裹住了富士山,好像为富士山披上了一件薄纱。站在富士山上放眼望去,美景尽收眼底。一会儿,云雾慢慢遮盖了富士山的半边脸。我赶紧让妈妈拿出照相机,“咔嚓!咔嚓!”把我和富士山在一起的美好时刻抓拍了下来。我还在山上精心挑选了两张印有富士山的明信片,寄给了远方的姥姥和爸爸。

篇四:日语优秀作文 しゅうさく

秀作

しめけ

ある朝、起き抜けに外へ出てみると、空気は湿り気を帯びて生暖かく、遠くの山は朝もやの中でかすんで見える。そういう自然に触れたとき、私は「ああ、春が来たのだな」と思う。そこにはもはや、灰色の冬の姿はない。紛れもなく自然は春である。

やがて小川の水がぬるみ、つくしが芽が出し、すみれが、かわいい姿を見せる。そして小鳥たちの楽しげな歌声が聞かれ、田園を菜の花やれんげが、黄に赤に美しくいろどるようになれば、春はもうたけなわといってよい。空には明るい太陽が輝き、人々はぽかぽ

ひた

かとあたたかいその光に包まれ、和やかな気分になり、幸福感に浸る。若い人たちは、

のやま

明るい色の服を着て街にあふれ、野山に遊び、春を楽しもうとする。春はうれしい季節である。

だが、春は何といっても花見であろう。その頃ともなれば、花の名所は人出でにぎわい、春何番かの風が砂埃を巻き上げるのも気にせず、人々は春に魅せられたように、花の下でのみ、歌い、踊るのである。よる桜の美しさはまた格別である。ぼんぼりの光に照らし出された桜の花の、何となまめかしく、美しいことか。空におぼろ月が出ていて、生暖かい夜の空気が、そっと頬をなぜれば、私たちはいつしか夢見心地になる。そんなときである、行きかう女性がみな美人に見えるのは。

さか

しかし花の盛りは、そう長くはない。風もないのに桜の花がはらはらと散り始めれば、春はもう老いたのである。おおかたの花が散った枝に、赤茶けたガクだけガ残っているのは、いかにも味気ない。そして散った花びらは、地上の泥にまみれ、人に踏まれて無

せじ

残な姿になるのであるが、人々は世事に追われて、もはや花の運命をかえりみようとはし

はるさめ

ない。ただ春雨が、地上の花びらをいとおしむように、音もなく静かに降るのみである。

めがみ

春の女神の涙のように。

「秋きぬと目にはさやかに見えぬども、風の音にぞ驚かれぬる」_そう、秋はそっと忍び寄って、不意に肩をたたくともに似ている。長い夏休みが終わり、なんかとあわただ

がいろじゅ

しい一時期が過ぎた頃のある日、街を歩いていて、頭の上で街路樹の葉がさらさらとな

つぶや

る音に、ふと心ひかれることがある。それは明るく、軽やかで、楽しい呟きとも、語りかけとも聞かれる。それを聞いたとき、私は「ああ、秋が来たのだな」と思う。

その頃、気が付いてみると、空はどこまでも青く、途方もなく高いところに絹糸の

うきぬいと

ような曇りが浮いている。空気は澄み切って、さわやかで、一年中で一番よい季節であり、人々は、争うようにしてスポーツや行楽に出かける。

秋が進むと、すずか

けやポプラなど街路樹が黄色くなり、風に吹かれて散る。散った

ちゃめけち

葉が道路の片隅に吹き溜まりを作る。お茶目な少女が、わざとその吹き溜りを蹴散らし

かわ

てゆく。枯れ葉は少女の足元でかさかさと乾いた音を立てる。

ゆうぜん

さらに秋が深まると満山紅葉。散った紅葉が黒ずんだ古池の水面に浮かんで、友禅模様を織り成す。わかい女性がそれをみて「まあ、きれい!」と、感にたえた声を発するのであるが、その美しさは実に見事だ。

秋は人をさびしく、わびしく哀しい気持ちにもさせるが、それは美しい月のせいではなかろうか。

しかし、ともし火の元、心静かに書をひもとくには、最もよい季節である。気候もよい、精神も落ち着く。秋はまさに読書の好季節である。清涼の秋!スポーツに勉強に、この秋を有効に過ごしたいものだ。

きよ

花は見る人の目を楽しませるだけでなく、心を清めてくれる。だから昔から花は、しきりに歌に読まれ、しき作られてきた。花を愛する心は、美しさを愛する心である。美しさを愛する心は、けがれのない心を愛することである。かつて暴力学校といわれた東京のある学校では、先生が花だんを作り、生徒に花を植えることを教えたところ、生徒の気風ががらりと変わって、今では模範校の一つに数えられているという。花を愛するものには悪人はない。美しい花を眺めていると、心の中のわだかまりは消え、いつしかつきのように済んだ心境になる。玄関や床の間にいけられた一輪の花が、見る人の心をどんなになごやかにするとか。 人々が花を愛し、花を育て、日本中が花でうずまったら、どんなに美しい事だろう。そうなってこそ、初めて平和国家日本が誕生するのである。

ぶどう

葡萄

長い夏が終わり、涼風が立ちはじめる頃、まず私たちの目に触れるのが、葡萄である。つぶ

大きな粒の葡萄が出ると、「おや、もうそんなに大きくなっていたのか」と驚かされる。

みかく

その頃、葡萄とともに、秋の味覚を代表するカキは、まだ十分に熱していない。だから、葡萄は秋の先触れの果物である。

一つ、つまんでこち

へ入れる。ぶつっとつぶすと、甘すっぱい味が口おなかに広がる。

その味を味わいながら、「もう秋だ」と、しみじみ思う。葡萄の味はさわやかで、実も心も澄み渡る秋の季節には、いかにもふさわしい。また一つ、つまむ。そして「勝沼や馬子も葡萄を食いながら」という句を思い出す。秋の峠をチャラン、チャランと馬の鈴を鳴らしながら、馬子は行く。空は晴れ、高い高いところに一片の白い曇り。南方はるかに、雪をいただいた富士の姿__そういう背景があってこそ、馬小の食べる葡萄も生きてくるのである。葡萄は、やはり秋を代表する果物である。

かけがえのない水 私達の生活の中で一番水を使うのは炊事と洗濯です。家庭で使う水の半分以上にもな

くさばな

るそうです。その次に多いのがトイレとお風呂です。そのほかにも葉が歯みがきや、草花へのみずやり、洗車などが上げられます。水道の蛇口をひねるだけで簡単に水は出てきます。そのため、つい無駄に使っているような気がします。

一人一人が心がけることで、多くの水の節約ができるはずです。

一つ目は歯みがきの時です。水を出すのは口をゆすぐときだけにします。二つ目はお

おけ

皿洗いのときです。洗い桶に水をためて洗います。三つ目は洗濯です。汚れ物が少量しかないときは、ある程度たまってからにします。四つ目はお風呂です。残ったお湯は流してしまわないで、洗濯や掃除の水として再利用できます。このように家庭の中でもいろいろな工夫をしてみることによって、貴重な水をできるだけ大切に使うことができるのです。

水は地球全体の人々にとって貴重なものです。そのため、できるだけ大切に使わなければならないと思います。人類にとって水は「命の源」であり、また生きていくために欠かせないかけがえのないものなのです。

水からの知らせ 地球が誕生して、四十六億年といわれている。そして、この地球上に生命が海の中から誕生して、今日までいろいろな生き物がくらしてきている。

すいてき

たとえ大陸の奥の砂漠であっても、空気中のほんのわずかな水蒸気が冷えた 水滴

こんちゅう

を上手に集めて、水分を取っている昆虫の姿をテレビで見たことがある。池や湖の一滴の水中にも、さまざまなプランクトンの姿が見られることも、料理の学習などで知った。

私の体は、七十パー

セント以上が水だそうだ。ご飯は食べなくても、数週間は生きていける。しかし、水がなくては一週間も生きていけないと聞いたことがある。

このように、水は生命にとって欠くことのできないものである。しかし、日常生活で、いつも大切に思っているわけではないのだ。つまり、ムダニ水道から流したり、ごみを川の中に投げ入れたりするのが、私人間なのだ。

耀く水

僕はみんなに「水」について耂え、知ってもらいたいと思う。少しの努力で耀く水が帰ってくること、耀く水が小さな生き物を育てること、小さな命は僕たち人間の耀く 命をつないでくれることを。おかげさまで生きていることをもう一度肝に銘じて、僕たちは生活で使う水の一滴まで大切にしていきたいと思う。

循環

循環について耂えるに当たって、森がよい例になると思う。森は実に多くの機能を持

あまみず

っている。その中のひとつに水の循環がある。森は「緑のダム」といわれるように雨水を貯蔵する。草や木の根に貯蔵された水は地下水となり、ゆっくりとした速さで流れて行

やまくずれ

く。これにより、鉄砲水の発生や 山崩も防ぐことができる。植物の根がなければ、降った雨水は吸収されることなくたちまち流れていき、災害を引き起こすことになる。 また森林には炭素を循環させる機能もある。植物の呼吸によって二酸化炭素が吸収されるだけではなく、炭素をため込み大気中に戻さないようにする働きがあるという。これは地球温暖化が騒がれている今日、重視されるべき点だろう。

世界をきれいにしよう